Interview
KALMA

KALMAというバンドが変わらずにいるために、
今、変わらなきゃいけない
──結成10周年おめでとうございます! このインタビューでKALMAと出会う方のために、簡単な自己紹介をお願いします。
畑山悠月:高校1年生の時に、北海道の地元の学校で知り合った友達とバンドを組んで、今日もなおやっているという感じです。ボーカルの畑山悠月です!
──畑山さんが音楽と出会ったのはいつですか?
畑山悠月:僕が5歳ぐらいの時、おばあちゃんと一緒にカラオケに行ったらしいんですよ。その時に僕の歌を聴いて「この子は音楽やらせたほうがいい」って勘違いしたみたいで(笑)、バイオリンを習わせてくれたんですね。
──ピアノやギターではなくバイオリン!?
畑山悠月:なんでバイオリンだったのかは、いまだに分かんないんですけど。ピアノだったら、もっと学校とかで活躍してモテたのになとか(笑)。6歳から7年間習ってましたけど、音符は読めないし、バイオリンって首に挟むから痛いしで、7年経った時に「もうやめる」って。
──その後にKALMAの結成があるわけですね。
畑山悠月:中学生の時、野球の部活終わりに、お母さんの車で流れてたMr.Childrenの音楽を聴いて「あ、もう一回音楽やりたいな」って。次はバイオリンじゃなくギターがいいし、俺、歌いたいなと。ギター弾きながら歌いてえなと思って、中学2年生の時にアコギをいとこから借りて練習して。高校に入ったら絶対バンドをやりたくて、入学してKALMAを組んだって感じです。
──では、6月3日にリリースされた「唄えば愛」について聞かせてください。私はこの曲を聴いた時に、KALMAからファンに向けたラブレターのように感じました!
畑山悠月:そうですね、僕らからのラブレター。それはめっちゃ自分の中で意識しました。
──ラブレターというと、特定の誰かに向けて書くイメージですが。
畑山悠月:今までは、100人いたら100人に届けたいな、誰も置いてっちゃダメだな……って心がけてて。だけど、少し前に人と話している中で、「100人に向けて歌うよりも、一人に100%の愛を伝えることで、誰かには間違いなく届くよね」って話になって。その詞を「うわ、分かる!」って思ってくれる人がたくさん居れば、同じ熱量で100人に届くんじゃないか? っていうのに気づいたというか。
──より濃いものが届く、という?
畑山悠月:そうですね。
──「唄えば愛」の中で、特に思い入れのあるフレーズを教えてください。
畑山悠月:世の中にある愛をまっすぐ伝えている曲を聴いて、たぶん僕は今まで、遠回しに歌詞を書いてたんだなと感じて。今回、「愛してる」って言葉を、僕の記憶の中では初めて使ったんです。
──ドキっとしました!
畑山悠月:「愛してる」って、本当に好きな人に面と向かって言うのはいいんですけど、歌で言うには嘘くさいなって思ってたんです。だけど「そういう言葉のほうが、ドキっと聞こえるのかな?」みたいに考えて。今回は、自分がちょっと苦手だった言葉や言い回しを、たくさん散りばめた感じはあります。
──ラスサビの“君に愛を叫べない日には 僕はもう音楽をやめるよ”も、かなり印象的でした。
畑山悠月:そうですね。歌詞はすごく難航して、レコーディング当日の、歌を録る直前まで出来てなかったんですよ。「どうしよどうしよ!?」って当日持って行って。その部分の歌詞は、意外とメンバーみんなに否定されなかったんで、「あ、歌っていいんだこれ」と思って。
──皆さんの反応も後押しになったんですね!
畑山悠月:そこはすごく歌いたかった歌詞だったんで。この「唄えば愛」の中で、愛が何かわかんないけど、こうやって目の前にいる君に歌ってたら、これが愛って気づいたんだよ、って。それを愛って呼べないなら、俺の10年間はなんだったんだよ!?!? みたいなことなんですね。
──深い……。
畑山悠月:聴いた人たちから「辞めるの?」みたいに言われたんですけど、そういうことではなくて。この10年間で歌ってきたことが間違いじゃなかったって証明したかったんです。そこの歌詞は、僕自身もすごいグっときてます。
──「唄えば愛」のイントロはストリングスで始まりますが、2021年リリースの「夏の奇跡」ぶりな感じがします。なぜ今回入れようと思ったのですか?
畑山悠月:10年間、自分ら3人の音で届けることにこだわってたんです。例えばピアノも、3人の誰かが弾くならいいって。
──そこから、どんな心境の変化が?
畑山悠月:10年やってきて、やっぱ変わらなきゃいけないじゃないですか。絶対に。KALMAっていうバンドが変わらずにいるためには、変わらなきゃいけないな、みたいに思ったので。
──何かきっかけがあったんですか?
畑山悠月:一番大きいのは、僕がメンバーに言われて気づいたことなんです。「悠月の歌声は、ライブハウスで暴れて歌うのもいいけど、カラオケでしっとり歌ってる声もいいよ」って。それは自分でもそうだなって思うんですよ。自分の声は、ミドルテンポとかバラードっぽい曲で生きるんだなってことに、やっと気づいて。
──メンバーだからこその意見ですね。
畑山悠月:ね。今まで、ワーってやってケガしたりギター折ったり、声にならない声で歌ってきた。それも、すごくいい経験だし楽しい青春時代だったんですけど、もう今年で26歳になるので。いろんな曲を歌いたいな……みたいな。そこで、メンバーに「悠月の声はそういう歌でも生きるよ」って言われて、じゃあそんな歌を書こうと思ったし、曲によってはピアノとかストリングスも必要だよね、って。
ツアーファイナルの日は、人生で一番泣きました
──昨年行われた、全国19か所を回った結成10周年ツアー「ソング・フォー・シーズン」について聞かせてください。1年にわたるツアーを通じて変化したことはありますか?
畑山悠月:今まで僕ら、すごく贅沢なツアーをやってきたんですよ。移動は新幹線で、PAさんとかローディーさんは専属の人が帯同してくれる、みたいな。去年は10年目に突入したんで、原点回帰というか。最初の頃の気持ちに戻って、ハイエース1台で「メンバー3人とマネージャーだけで全国を回ってみようよ」って。当時のマネージャーは歳が近いのもあって、20代の4人でお酒を飲んだりご飯食べることが増えて。実は、ツアー始まって最初はめっちゃ恥ずかしかったんです……。
──え、恥ずかしかったんですか?
畑山悠月:なんか、仲良すぎたというか(笑)。
──そっち(笑)。
畑山悠月:僕は基本的に一人の時間が好きなんで、移動してる時はイヤフォンしてラジオを聴いてるし、ライブの打ち上げではスタッフさんと話したりするみたいな。でも去年のツアーは、打ち上げも移動もマジの4人だから、ずっと一緒にいて、ずっと会話もして、なんか、すごいメンバーのことが好きになりましたね。
──めちゃめちゃ素敵です……! 1年かけて全国を回った中で、特に記憶に残っているシーンはありますか?
畑山悠月:「ソング・フォー・シーズン」って言ってるぐらいなんで、いろんな季節に歌いたくて。春の札幌から始まって春夏秋冬をかけて回って、冬の札幌で終わるのはすごく理想的でした。
──達成感もいつもより大きそうです!
畑山悠月:あと、ファイナルの札幌のライブでは、人生で一番泣きましたね。映画を観た時よりも、失恋をした時よりも泣きました。
──ステージで、ですか?
畑山悠月:ステージで。「光る街」って曲があるんですけど、こう……あまりにもいい曲すぎて(笑)。しかも地元だったんで、お母さんとかお姉ちゃんとか友達とかが観に来てて。歌い始めて10秒ぐらいで、2階席にいるみんなが目に入ったら、こうやって(抱擁のジェスチャー)泣いてたんですよ。「ダル……やめてよ」みたいな(笑)。
──それは、つられちゃいますね……。
畑山悠月:もちろんつられて泣いちゃって(笑)。で、もう2階は見ないぞと1階を見たら、昔からの友達が目パンパンにして泣いてて「いや、お前も!?」みたいな(笑)。1曲通して泣いてたからちゃんと歌えてなかったけど、なんかこのツアーやってよかったなって思ったし。俺って、どこまでいっても札幌の人間なんだな、北海道の人間なんだな……って。
今、武道館でライブをやるなら、すごくいいものができる
──北海道にはやはり特別な思いがありますよね。上京を決めた時はどんな気持ちでしたか?
畑山悠月:僕がまず2人に、上京しようって言ったんですね。東京での仕事のほうが多いし、ライブも札幌以外の頻度が増えてきたから。そしたら2人に「マジでやだ」って言われて。「悠月だけ行けば?」「それは違うでしょ」みたいな。北海道からの上京って、海を渡るっていうのもあってやっぱすごい特別で。僕は、3人で足並み揃えて行くもんだと思ってたんですよ。
──たしかに。
畑山悠月:そしたら急に、ある日の札幌のライブで、ドラムの竜也から「俺、明日から東京行くから」みたいな。「どうしたの?」って聞いたら、「今の家が契約の更新のタイミングだから、更新せずに、東京行って家決めるわ」って。
──えーーっ!
畑山悠月:その半年後、次にベースの陸斗も「俺も家の更新タイミングがきたから上京する」って。先に2人に行かれて、「逆に、札幌にもうちょっといちゃおうかな」って、僕のほうが一年ぐらい長く札幌にいました(笑)。
──メンバーの反応は……?
畑山悠月:さすがにめっちゃ怒られました(笑)。メンバーとか当時のスタッフに「お前が言ったんだよ? 何やってんの?」って。「ですよね、すみません」って。
──拠点を北海道から東京に移したことで、陸斗さん・竜也さんとの関係で変わったところはありますか?
畑山悠月:よかったなと思うのは、2人は2人で、僕は僕で東京の友達ができて、誰もひとりぼっちになってないっていうことですかね。誰かが東京に馴染めなかったら嫌だし。2人が楽しんでるのを見ると「みんなの肌に東京が合ってよかった」って思いますね。
──東京で暮らす中で、楽曲作りに変化は出てきましたか?
畑山悠月:東京に来て、暗い歌が多くなりましたね。はい(笑)。
──それは、社会に揉まれて……とか?
畑山悠月:いや、そんな揉まれてとかはないです。札幌では家の前が川だったんで、夜中に河原のベンチに座って曲を作ったりしてて。今は都会も近いので、ちょっと歩いたら人がいっぱいいる駅とかじゃないですか? そういうとこに行けば元気は出るはずなんですけど、僕は暗くなっちゃうというか。「僕はこの中の、本当にちっちゃい存在なんだ」みたいに。
──ちょっとわかる気がします。
畑山悠月:僕、悲劇のヒロインぶるところがあるんで(笑)。ついてないな俺、みたいな。でも、そのおかげで「光る街」って曲ができたし。東京に来てどうしてそういう曲が多くなっちゃったのかは、自分でもわからないですね。
──最後に、KALMAとしての夢を教えてください!
畑山悠月:10年間足を止めることなく3人でずっと楽しくやってるんですけど、誰の口からも、どこに立ちたい、って聞いたことがないんですよね。3人とも、超有名になりたいとか、超デカいステージに立ちたいとか無かったと思うんです。けど今年、僕は初めて、武道館に立ちたいなって思いまして。
──わー!
畑山悠月:武道館ってマジで特別で、選ばれた人しかできない場所だと思ってたんですよ。でも「僕らも、武道館でスゲえいいライブ出来そうだよね!?」って想像しはじめて。うん、今は武道館ですね。立ちたいです!
インタビュー・文:鈴木萌音、髙橋春樹
Profile
北海道・札幌出身のスリーピースロックバンド。畑山悠月(Vo, Gt)、斉藤陸斗(Ba)、金田竜也(Dr)。全員2000年生まれ。2016年の高校1年時に結成、2020年にミニアルバム『TEEN TEEN TEEN』でメジャー・デビュー。耳に残るメロディとまっすぐな歌声、エモーショナルなライブに定評がある。昨年は、全国19か所を回る結成10周年ツアー「ソング・フォー・シーズン」を完走。2026年は3月「春の魔法」、6月「唄えば愛」と精力的にリリースし、表現の幅を広げ続けている。
Live Information
2026.7.24(金) THE SUN ALSO RISES vol.408 -F.A.D 30th Anniversary- KALMA / 炙りなタウン
F.A.D YOKOHAMA (横浜)
18:15 open / 19:00 start
2026.7.25(土) MURO FESTIVAL 2026
横浜赤レンガ倉庫 野外特設会場
2026.8.13(木) REVOLUTION NIGHT 次世代型音楽フェス
ダイアモンドホール (名古屋)
14:30 open / 15:30 start
編集後記
「今までやってきたことが間違いじゃなかったって証明したい」そう言葉を紡ぐ畑山さんへのインタビューは、もっともっとお話を聞きたくなるような貴重な時間でした。また、斉藤さんと金田さんの話をする時のフワッと柔らかくなる表情、バンドのこれからを話す姿からは、KALMAへの大きい愛を感じました。この記事を通じて、KALMAの魅力が最大限伝わればいいなと思います。(鈴木萌音)


