Interview

MAGUMI

2024/09/06

音楽は無くても生きていけるかもしれないけれど

あると、人生はすごく豊かになる


──まず、簡単に自己紹介をお願いします!

MAGUMI:1987年に LÄ-PPISCH(レピッシュ)というバンドでビクターからデビューしまして、それから何とかミュージシャンで飯を食っている、ヴォーカルのMAGUMIです。

──MAGUMIさんが音楽に興味を持ったり、バンドを始めたりしたきっかけを教えてください。

MAGUMI:小学生の頃は音楽に興味なかったのが、中学1年でThe Beatlesの「Can’t Buy Me Love」という曲を聴いて、“俺この曲好きだ!”と思って。そこからのめりこんで色々聴くようになった。でも、まだバンドはしてなかったんだけどもね。

──そうなんですか?

MAGUMI:中学ではブラスバンド部、高校では合唱部に入ってたんで。熊本から東京に来て、ディスコやクラブで踊るようになったりして。そこでかかっている音楽が面白かったので、中学からの同級生がやってるバンドに入った。それで、デビューまでしちゃったという感じですね。

──音楽活動をする中で意識していることは?

MAGUMI:重要なのは、バンドの存在も自分もオリジナルであるということ。一番長くやっているLÄ-PPISCHで言うと、似ている感じのメロディがあればその曲は演らない。それと、10年ぐらい経っても古くないような楽曲を作っていく。この2つが音楽活動で大事なことかな、僕にとって。

──LÄ-PPISCHは結成から40年。これだけ長く続けられている秘訣を聞かせてください。

MAGUMI:メンバーに興味を持たないことかな(笑)。LÄ-PPISCHは、ギターの恭一が中学・高校の同級生っていうのもあって、近付きすぎると反発しちゃうんだよね。The Rolling Stonesのミック・ジャガーとキース・リチャーズも同級生だったけど、付かず離れずでしょ? あと、人をほめることは忘れずに。これ重要!

──たしかに大事ですね! メンバーとの関係性は、40年で変わってきましたか?

MAGUMI:これだけ長くやってると色々あるよ。活動休止の時期もあったけど、それに関しても、俺たちバカ正直だったのでね。解散して解散ツアーとかやると儲かったりもするんだけど、どうせまた一緒にやると思ってたから。待っててくれる人たちもいたから、一回活動休止にして。だから……まあ、メンバーの関係は別に変わってはいないかな。最近に至っては、みんな60歳超えてますから(笑)。

──LÄ-PPISCHの曲には「ハーメルン」や「JACKの憂鬱」など、笛吹き男や切り裂きジャックという物語を彷彿させるものがあります。作詞は、どんな所からインスピレーションを受けることが多いですか?

MAGUMI:一貫して方向性がないので、その時その時で。俺の場合、詩もあんまり他の人と似てないと思う。みんなが知っている話をやっちゃうと面白みが減るのでね、人が歌わないようなことに目を向けるようにしている。人って、自分に関係ないことだとすぐ忘れちゃうじゃん? だから、“これちょっと面白いな”という話は忘れないようにしています。

──「パヤパヤ」という楽曲、楽しげなサウンドと“パヤパヤ”というフレーズが耳に残って、何度も聴きたくなりました!

MAGUMI:「パヤパヤ」はデビュー曲なんだよね。実は、ヒットしたのってデビューしてから3年後で。TOYOTAのスターレットのCMに使われてから、3カ月ぐらいチャートの20位以内にずっといて。長く売れてくれた曲です。

──LÄ-PPISCHと並行する形で、2009年に、MAGUMI AND THE BREATHLESSを始められましたね。

MAGUMI:バンドが休止している最中に、なんかしなきゃいけないなと思って。こういうのって、人とのつながりなんだよね。BREATHLESSのキーボードは元々公務員で音楽の先生をやってて。 “この人いい曲作るな”と思ったので、バンドにしちゃおうと。いい曲作るやつは重要だからね。

──LÄ-PPISCHもBREATHLESSもスカやミクスチャーの要素が強いですが、大きな違いは何でしょうか?

MAGUMI:一番の違いは、BREATHLESSは俺が歌詞を100%書いてることかな。他のメンバーにも「歌詞を書いていいよ」って言っているけど、「書けません」って言うんだよ(笑)。

──アルバム『The Rainbow Sphere』はコロナ禍のリリースで、プロモーションなどの予定が全て飛んでしまったそうですね。コロナ以前とその後では、どんな変化を感じてますか?

MAGUMI:LÄ-PPISCHは何も関係なかったんだけど、BREATHLESSの場合は徐々にお客さんが増えてきてた時だったので……。みんなが出歩かなくなるのに慣れちゃった感じかな。あと、若い人たちが活動を止められてるのに心が痛んだ。俺達は今までに散々、ひどいことや楽しいことをやってきた。でも若者は、せっかく大学や専門学校に入ったのに学校にも行けなかったでしょ? チョイスが少なくなって、かわいそうだった。だからお客さんには、「そろそろ自分から遊んだほうがいいよ」って言いたいよね。

──最新アルバム『The Rainbow Sphere』には、上田現さんが作った「Atlas」が収録されていますね。このタイミングで、アルバムの最後に入れようと思ったのは……?

MAGUMI:「Atlas」は、現ちゃんが練習で歌ったのしか残ってなくて。レコーディングをする前に亡くなっちゃったんだよね。俺、歌詞を知らなかったから一生懸命に現ちゃんの声を聴いたんだけど、分からなくて。これでいいのかな……とは思ったけども、本人はもういないから。出すしかないなと思った。長くコンビを組んでたから、“現ちゃんならこういう感じでやるかな?”というイメージはあって。

──現さんのトリビュートライブ等、色々あった中で「Atlas」はこのタイミングだったんですね。

MAGUMI:そうだね、「Atlas」だけは再録したいなと思っていたので今回やりました。亡くなってもう17年経つんだよ。タイミングを図っていたわけじゃないけど、みんなが忘れないうちに現ちゃんの曲を世に出してあげたいなと。

──すごく良かったです。

MAGUMI:ありがとう。

──LÄ-PPISCHは、3時間越えの激しいライブに定評があると聞きました! ライブに向けての体作りは、どうされていますか?

MAGUMI:重要なのは、普段から無茶をすること(笑)。俺、プライベートで草野球のピッチャーをやってるんだけど、絶対に交代しないの。何点取られても代わらない(笑)。あと、階段を2段飛びして上がるのを習慣づけてる。楽しみながらやらないと続かないので。

──2段飛びで上がるんですか?

MAGUMI:うん。以前、マスタリングの作業を一緒にやった年配の方に「MAGUMIくん今いくつ?」って聞かれて「40歳です」って答えたら、「50歳、60歳と年齢が上がるにつれて、太ももの筋肉はすごく落ちる。人は足をスライドさせて歩くから、太ももは上げてないよね? つまり歩くことでは脚は鍛えられないから、日常生活では階段しかないんだよ。よくサッカー選手や野球選手が太ももを上げるトレーニングをしているのは、そうしないと鍛えられないから」って。

──そうなんですね!?

MAGUMI:階段って、イヤでも太ももを上げなきゃいけないでしょ? 長続きできる、自分に合ったトレーニングをやるのはいいよね。だって、ライブの為だけにトレーニングするなんて辛くてしょうがないじゃん(笑)。

──たしかに(笑)。他にライブに向けて意識していることはありますか?

MAGUMI:リハから本番まで時間を空けない。一週間も空くと、体が忘れちゃうんだよね。勝手に体が動いたり自然に言葉が出てきたりするには、体が覚えているのが一番重要なので。

──草野球の他に、趣味はありますか?

MAGUMI:昔からファッションは好きだね。他には、日本全国を旅する人生が長かったので、色んな所に行くのも好き。日本は、どの地方にも同じ県がなくって。各地に友達もできるから、地元のやつが安くておいしい所に連れてってくれたり、風景がいい秘密の場所に連れて行ってくれたりして。

──これまでで、一番印象に残っているライブについて聞かせてください。

MAGUMI:一番かどうかは分からないけど、海外で演ったやつかな。Mano Negraというバンドが、LÄ-PPISCHと雰囲気が似ているのでサポートしてくれないかとレコード会社に言われて。デビューするときに一緒にコピーを考えたりした。で、メンバーと仲良くなって「フランスに来れば?」と言われてツアーをしたの。その後、ヴォーカルのマヌ・チャオはスペイン語圏で多分一番有名な人になっちゃったんだよね。神様みたいな人に。

──フランスのライブって、どんな感じなのですか?

MAGUMI:フランスやスペイン、イタリアとかの英語圏じゃない国は、日本人と同じような聴き方をしてる。英語が分からなくっても、“カッコいいな”とか“サウンドがいいな”とか思ったら反応する感じ。逆にイギリスに行ったときは、誰もピクリともしないで聴いてたんだよね(笑)。

──反応がないとプレッシャーとか凄そうですね。

MAGUMI:プレッシャーはないよ。イギリスの人はシャイなんじゃない? フランス人は、俺たちの曲を知りもしないのに、ノリが良くてみんな暴れだす(笑)。国民性なんだろうね。俺達も、なんだかんだ言って一発目はメロディだから。

──わたしの周りには20歳前後の学生が多いのですが、MAGUMIさんは20歳の頃どんなことをしていましたか?

MAGUMI:車に乗ってるときに運転している友達を笑わせたり、バカなことは結構してました。バイト先の友達に「今日、給料入っただろ? 全部使おうぜ!」って言って、ほんとに使わせたり(笑)。ひどいことばかりしてましたよ、カッカッカ(笑)。

──やんちゃだったんですね(笑)。

MAGUMI:やんちゃじゃなくて、ファンキーだった(笑)。

──当時ミュージシャンを目指してなかったら、今は何をしていたと思いますか?

MAGUMI:デビューするまでは飲食で働いてたけど、バーとかレストランを開きたいって願望はなかったのよ。東京で2年間、新聞奨学生をしながら学校に行っていたんだけど、自分で勧誘できるわけ。辞める時には50軒増やしてたから、営業はできるみたい。うん、意外とサラリーマンをやってたかもね。

──50軒はすごいですね!

MAGUMI:あと、俳優のオーディションを受けたこともあるけど、LÄ-PPISCHでデビューしてからは全部断りました。

──なぜ断ったのですか?

MAGUMI:ミュージシャンが俳優になると、みんなバンドから離れてっちゃうじゃない? ジム・ジャームッシュっていう大好きな監督にも誘われたんだけども、まだLÄ-PPISCHが2枚しか出してない時期で。そんな時に海外の映画に出ると、どっちが中心か分からなくなっちゃう。LÄ-PPISCHにはすごく未来性を感じてたから。

──DJの活動もされていますが、ミュージシャンとDJはどんなところに違いを感じますか?

MAGUMI:違いというより、すごく繋がってるよ。DJは、自分がCDやレコードを買い続けるから。人にCDを買えって言っているだけじゃダメで、俺も新しいものを買ってる。

──DJの方はCDをたくさん持っていますよね。

MAGUMI:うん。人は音楽が無くても生きていけるかもしれないけど、あると、人生はすごく豊かになると思う。ミュージシャンってね、平面ではなく立体的に音楽を作ってるんだよ。バスドラを球のまんなかに置いて、スネアを手前に……とか。音楽は携帯で聴くよりもちゃんとしたスピーカーで聴いた方が断然いいから、そういうことを紹介していきたい気持ちもDJにはあるね。

──では最後に、今後について教えてください。

MAGUMI:一番は、これまでのように音楽で楽しんでいけたらいいかなと。音楽は趣味だから、わざわざ趣味を辞める必要はないじゃない? 体が動かなくなるまでやっていきたい。生活を豊かにしてくれるのが芸術であり音楽なので、最後まで楽しみたい。皆さんも、趣味と上手に付き合って生きていくと人生楽しいですよ。

インタビュー&ライティング:小島香凜・元生真由
写真:唐川光葉

Profile

LÄ-PPISCH、MAGUMI AND THE BREATHLESSのヴォーカル、トランペット(LÄ-PPISCHとはドイツ語で“バカげた”との意味)。1987年のデビュー以来、日本のスカ、ミクスチャー界を牽引し続け、数多くのミュージシャンに支持されている。1963年生まれ、熊本県出身。

Web Site  https://magumi.club/

X  @magumi1963

Release Information

3rdアルバム「The Rainbow Sphere」
NOW ON SALE
DDCZ-2255/¥3,300(税込)

Live Information

2024.9.2 @ 東京 CLUB Que
2024.9.15 @ 東京 bar east
2024.9.22 @ 東京 南青山レッドシューズ
2024.9.24 @ 東京 CLUB 251
2024.10.6 @ 福岡 The Voodoo Lounge
※詳細は公式Web Siteをご覧ください。